袖振り合うも多生の縁

こんばんは。

実はまだアクセス数ゼロなわけですが、健気に3日目、続けます。

明日から忙しくなり、書けるかわからないというのもあるので。

 

今日は私の座右の銘をご紹介します。

タイトルの通り「袖振り合うも多生の縁」です。

これは、「人との出会いはすべて単なる偶然ではなく、深い因縁によって起こるものだから、どんな出会いも大切にしなければならない」ということです。

 

出会いの大切さというと、「一期一会」という言葉を浮かべる方が多いかもしれません。でも私は、こちらの言葉(袖振り〜)の方が好きです。

どこが違うのかというと、「袖振り(以下これで行きますね、略してすみません。笑)」の方には、「どんな出会いも偶然ではなく因縁によって起こる」というニュアンスが加わっていることだと思います。

 

これと似た表現として、「人は、必要な時に必要な人と出会う」という言葉もあり、こちらも好きです。昔はこの言葉を座右の銘にしてましたが、「必要」という言葉がちょっと利己的に聞こえる(人を道具と捉えている、みたいにも思われかねない)ということと、私が好きだった高校時代の学年主任が、「袖振り」を学年通信のタイトルにしていたことから、こちらを座右の銘にしました。

 

つまり、私は様々な出会いは因縁であり、意味がある。出会うべく人に出会っている。そう思っていて、だからこそ誰かと出会ったからにはその人から何かを学びたい、その人といい思い出を共有したい、と思っています。

 

そして、私はこれを拡大解釈し、人との出会いだけでなくすべての出来事に当てはめて考えています。

何か嫌なことが起きた時。

取り返しのつかない失敗をした時。

 

もちろん、辛い出来事の真っ只中にいる時には、こんなことを考えている暇はありません。自分の努力不足で失敗してしまった時は、どうしようもないくらいに後悔します。

それは仕方がないことだと思います。

 

私もまだまだ短いといえば短い人生ですが、どうしようもないほどに後悔した経験はあります。そんな時には本当に、絶望的です。

 

しかし、時間が経ち振り返ってみると、

「あの経験があったからここまで来れた」

「(目指していた進路ではないが)実はこっちの道の方が向いていたのかもしれない」

という風に思えることがたくさんあります。

 

私はいつもそうでした。

だからこそ、どうしようもなく絶望的な状況でも、

「きっとこれは自分にとって必要な経験なんだ」

「この経験からいろんなことを学んでやるんだ」

という気持ちで対処できるようになりました。

こういう風に前を向けると、自分の失敗について反省はするものの、後悔はせずに済みます。

 

 

ただ、普段はこう思っている私でも、なかなか気持ちが切り換えられず、1つの失敗をずっとずっと後悔し続けてしまうことがありました。

これこそが、本当の挫折で、コンプレックスになるんだな、と実感した経験です。

この経験についても別の機会に書きたいと思います。

 

 

このように例外があるから、この考え方は役に立たない、ということではなく、普段からこういう考え方をしているから例外に気づけた。これが自分にとってよっぽど辛い経験だと気づけた。と思っています。

 

 

このブログを読んでくださっている方がいたら、その方と私も何か因縁があって出会っているわけです。

ぜひ、このブログとの出会いから何か(反面教師的な面ももちろん含みます)を学んでもらえたら嬉しいです!

(「座右の銘が長いと伝わりにくいから簡潔なものにしよう」(笑)とか、「鍵カッコを使いすぎると会話なのか考えなのか強調なのか、わかりにくいから、それぞれを分けて使おう」(笑)とか、そんな些細なことでも十分な「学び」だと思います)

 

 

この人と、この出来事と、自分との出会いは、なぜ起きたんだろう?何のために出会ったんだろう?

そんな風に物事を見てみると、何気ない日常も、とてもワクワクして過ごせます。

 

それでは!