「好きに理由は要らない」けど、考えてみると面白い
こんばんは。
ちょくちょくアクセスが増えていて、嬉しくもあり緊張もあり、という状況ですが、やはりモチベーションは上がりますよね!(単純)
今日は、ザ・恋愛みたいなタイトルですが、そうでもないです(笑)
元ネタは恋愛ですが、そこから派生していったお話です。
「好きに理由は要らない」は、どうなんですかね?理由があるのが正しい・ないのが正しいとかは全くわからないし、決めるべきことでもないと思います。だって、好きになっちゃったんだから(笑)
人であれ、モノであれ、コトであれ。
でも私は、放っておくと理由を探してしまい、見つからないと不安になります。
恋愛としての人もそうだし、友達としての人も、趣味もです。
でも、特に恋愛に関しては、ドラマ見たり小説読んだりしていて、明確に理由がある時の方が少ないなあと気づきました!
雰囲気じゃん!流れじゃん!成り行きじゃん!!みたいな。
だからといって、その気持ちが本当じゃないとか軽いとか、そうではないと思うんです。
理由ははっきりわからないけど、なんか好き。
そう思える何かこそが、”好き”ということなのかなと思ってます。
逆に、理由が明確に述べられるから、好きな箇所をたくさん挙げられるから、”好き”の気持ちが本物じゃない、ということでもないと思います。
ここで言いたいのは、自分が好きだと思ったものに対して、明確な理由が見つけられなくても「本当は好きじゃないのかな」と不安になる必要はない、ということです。
では一方で、タイトルの続き部分です。
ちょっと矛盾してるみたいに聞こえそうな続きです。
なんなんでしょうね、私は一見すると矛盾してそう、みたいなことを考えるのが好きなんですかね(笑)
これは、好きだと思ったものに対して、「なんで私はこれが好きなんだろう」と考えてみると面白いということです。
これについては好きなものだけでなく、嫌いなものも同様です。
きっかけは、為末大さんの「問題が存在していること以上に、なぜ自分がそのことを問題だと思うか、を考えるのが大切」というような考えを聞いたことです。(要約が下手ですみません)
問題を問題であると認識するのには価値観が関わっていると。
それが良い悪いということではなくて、そうであるからこそ、なぜそれを問題だと認識するかを考えてみることで、自分の価値観がわかってくるということだと思います。
それと同じ原理で、何かのことを「好き」「嫌い」と感じるのは、自分なりの基準があるからです。特に「嫌い」と感じることは良くないことだと思いがちですが、仕方ないと思います。だって、嫌いになっちゃったんだから(笑)
いや、真面目な話、そうだと思うんですよね。他人から「嫌いになるな」って言われても、感情をコントロールできるわけがないし、それでたとえ「誰のことも・何のことも嫌いになってない」と思っている人がいたとしても、それって自分でそう思わせてるだけですから。感情は所詮コントロールできないのが自然だと思います。
(話は逸れますが)嫌いになることがいけないのではなくて、嫌いになった人・モノに対しての態度の問題だと思います。
誰かのことを嫌いだからといって、その人をいじめていいわけではないし、これからも交流のある人なら露骨に表現するのは自分にとっても不利益だし。という話だと思います。
(話を戻して)だから、「好き」も「嫌い」も自分の感情を素直に認めて、その理由を考えてみましょうということです。
最近ではよく、「自分探し」に夢中になったり、就活といえば「自己分析」だったり、みんな自分がわからなくなってきていて、自分を見つけたいと思っているんですよね。
私もそうです。
私って何なんだーーーーーー!
私ってどういう人なんだーーーーーーーーー!
って思いっきり叫んで神様に答えてほしい、みたいに思うこともあります(雑)
でも、それって突然考えてパッとわかるものではなくて、普段から自分と向き合っているとだんだん、ちょっとずつ、本当に少しずつわかってくるものかなと思ってます。
その1つの手段としての、これです。好き・嫌いの理由を考えてみる。
1つの対象だけでは何もわからないです。好き・嫌いと思った対象に対していつもいつも考えてみる。そうすると、ぼんやりと傾向が見えてきます。
そして、それがわかれば、好きなものを見つけられる確率や嫌いなものを避けられる確率が上がると思います。もちろん、ぼんやりとなので、あくまで確率レベルでの話ですが。
好きも嫌いもコントロールできないなら、その対処をうまくして幸せに生きたいですよね!
以上、好きだと思う明確な理由を挙げられなくても不安になる必要はないけど、
好き・嫌いだと思う理由を考えてみると自分が見えてくる気がする。
というお話でした!
それでは!