自虐キャラと自己肯定感の高さは両立し得る
こんばんは。
宣言通り(?)約1週間ぶりの投稿です。
まあ、時間がある時に思いついたこと(or前から考えていたこと)を書こう、くらいの感覚でやっているので全く問題ないです。笑
両立し得るシリーズ第2弾、自虐と自己肯定感についてです。
自虐ネタについて、皆さんはどう思われますか?
「反応に困る」「こっちまで悲しくなる」「かまちょ」など、否定的な意見を聞くこともわりとあります。
私も、人の自虐を聞いてそう思うこともありますが、自虐ネタについて一概にそうとは言えないなあ、という感じです。
本当に、心から、面白いと思う自虐もたくさんあります。ツイッターは特にそれが多いのかなとは思います。
そこで、面白い自虐と可哀想な自虐の違いは何かとしばらく考えていましたが、「自己肯定感」の高さによる違いだと気づきました。
だから、タイトルです!
つまり、「自虐と自己肯定感が両立する」どころか、「自己肯定感が高い人こそ自虐が面白い」んだと思ったわけです!!
快く「面白い」と思える自虐には、以下の2点が大切な気がします。
1つ目は、本当に自分も(欠点だと)思っているか。
自虐は自慢のカモフラージュだったりすることもあるわけです。相手に否定してもらうことが前提の自虐はそうですよね。
「私ブスだから〜(汗)」とか、「自分マジで頭悪いわ」とか、、想像に難くないと思いますが、これらは「そんなことないよ〜!」という言葉欲しさに言っていますよね。
これは、言っている本人はそう思っていないわけです。
だから聞いている方も薄々と(もしくはハッキリと)それを感じてしまい、腹が立ったり「かまちょ」だと感じたりするわけですよね。
自虐が面白い人は、本当に思っているんです。思っている通りに嘘偽りなく話すから、快いし面白いんだと思います。
2つ目は、(そんな欠点がある)自分を愛せるか、愛しているか。
これがつまりは自己肯定感が高いということなわけですが。
1つ目では、本当にそれを欠点だと思っているかどうかが大切だと言いましたが、今度は逆に、その欠点がある自分を、その欠点以外に魅力があると思っているかどうかが大切だ、ということです。
これがない人、つまり自己肯定感が低い人は、自虐している(欠点と見せかけている)点が、実は唯一の自信がある点なんだと思います。
2つに分けておいて結局つながっているんですけど…
2つ目の自己肯定感という条件が十分に満たされているからこそ、安心して欠点を欠点だと笑い飛ばせる、ということです。
だから、自虐ネタをする人が一概に自己肯定感が低いわけではないし、面白いと感じられる自虐をしている人は、自己肯定感が高い人なのでは?ということです。
これは、自虐だけでなく他虐、つまり他人のイジリにも通じますよね。
他人イジリに対しても、不快に思うという人はいるかと思いますが、相手のことを認めている、好きだ、という前提があってのイジリは私は好きです。
「愛のあるイジリ」という言葉もよく聞きますが、本当にそうだと思います。
それで、だから何が言いたいんだ、というところですが、
自分でも他人でも、「心から好きだ」と、「こんな欠点があるけど、それでも愛せる」と、思えない対象をイジるのはやめませんか?というお話です。
それはいじめに近づくからです。イジる側もイジられる側も(自虐だったら両方とも自分!)、見ている側も悲しくなります。
文で書くと当たり前なことに感じられよね(笑)わざわざ書くまでもない(笑)
特に、他人イジリに対してはそうだと思います。
でも、自虐も同じ構造だ、というのは一見すると気づきにくいかなと思います。
以上、自虐が上手い人は自己肯定感が高いという話と、自虐他虐ともに、対象を愛せないならイジるのをやめませんか?という話でした!
それでは!私は今日も自虐ワールド(ツイッター)へ行ってきます!